田舎暮らしにあこがれる

 小学生の頃夏休みになると、水筒と虫取り網を持って田んぼに囲まれた小道をてくてくと歩いてかやぶき屋根のおばあちゃんの家に遊びに行く。それはまるでトトロに会えそうなほどの濃密な日本の原風景。

 これが私の憧れでした。実際は故郷とか田舎に全く縁のない暮らし。
毎日コンクリートの道路を歩き、高い建物の間をすり抜けて登校してました。小学校は全校生徒2000人を超すマンモス校。先生方は生徒一人一人の名前はおろか、顔も覚えられない始末。もちろん私など誰も記憶に残ってないことでしょう。

 思い起こしてみればあの頃から日本の原風景というような田舎に憧れていたのでしょう。なにがきっかけで幼い頃にそのような存在を知り、憧れたのかは今も不思議なのですが、その思いは中学に進学して無くなるどころかむしろ大きくなっていくのです。

はじめての田植え

 中学に入って授業で初めて田植えを経験しました。どろどろの田んぼの中を長靴をはいて歩くのですが、初心者には歩くだけで重労働。気を抜くとすぐに転んで泥だらけです。
  
 ぴしっと線をひいて、それに沿って苗を植えていくのですが、ずっと中腰で作業することがこんなに辛いとは。昔のおばあちゃんの背中が丸いのはあたりまえなんだなあ。と実感したのを覚えてます。

 しばらく没頭して後ろを振り返ると真四角の田んぼに一直線にが並んでいました。風が吹くといっせいにそよぎ、水面にはがたち、映りこんでる風景がくにゃっと歪みました。なんとなく幸せでした。

 田植えが終わると実はしばらくやることがありません。水の管理くらいです。といってもこれがとても大切。水が無くなれば枯れますし、多すぎれば腐ります。人と一緒で稲も幼い頃はとても弱いのです。

 なんとか苗が生長してくると、田んぼにはセリやオオバコなどとても強い雑草がどんどん伸びてきます。大きく成長してしまうと手で抜くしかないので、まだ小さいうちにデッキブラシで苗の間をこするように歩くと、少ない労力で雑草を無くすことができました。実はこの方法「夏子の酒」にでてたんですけど。

 ここまで順調に育っていた稲も大きな危機に直面することになりました。

台風の襲撃

 がある程度成長するとわざと水を少なくします。そうすると稲が危機感を持って「次の世代を作らねば」と穂をつけるそうです。ぬくぬくと安定した環境で稲を育て続けると背丈ばかり伸びてちっとも穂をつけないそうです。人間も同じだなと感心したのを覚えてます。

 さて8月も半ばを過ぎ、稲も頭をたれ始めた頃ヤツはやってきました。今までは何とか直撃をまぬがれていたのですが、いよいよ大型の台風が稲の真上を通過しました。台風のシーズンはちょうど稲が沢山穂をつけて重く倒れやすくなっている頃と重なるのです。

 台風が過ぎ、たんぼにいってみると、案の定ほとんどの稲が倒れていました。そのまま倒しておくと、地面と接触している穂からは芽がでてしまいます。紐で支えて一列ずつ立ち上がらせます。これだけで軽く一日が終わりました。台風の力はすごい

 毎日稲穂を狙うヤツもいます。すずめです。こいつらはほんとに頭がいい。ちゃんと稲に実が入った頃を見計らって集団でやってきます。ひとによってはマネキンや案山子を使いますが、見た目にグロテスクなので、私は紐を田んぼの四方八方に張り巡らせました。

 9月に入り、いよいよ収穫ですが、なかなかすんなりとは行かないのが自然相手の難しさなのです。

熱射病でダウン

 なにもこんなに暑くならなくてもいいのに。30度をゆうに超す気温の中で稲を刈りました。稲刈機などありませんから全て手作業です。ざっと一反の稲を刈っては束ね、干していく作業は丸一日かかりました。

 体力にはかなり自信のあるほうでしたが、夕方になると、意識が朦朧としてきて、自分が何をやっているかもわからないような状態でした。気がつくとすっかり日も暮れてなにやら涼しい風が吹いていました。どうやら2時間ほど倒れていたようです。ほんとに農作業は大変です。

 さあ3日間ほど天日干しして程よく乾燥したら次は脱穀です。今はすっかり便利になって脱穀機に稲を差し込むと綺麗に籾だけ濾しとってくれるのですが、もちろんそんな便利なものは無いので、近所のおじいさんから借りたセンバゴキの出番です。博物館級のシロモノです。このセンバゴキ、けっこう力がいるうえに一回じゃ籾を全部濾しとってはくれません。一束の稲に何分もかかるのです。それが山盛りあるのです。気が遠くなりそうです。

 結局脱穀も丸一日かかりました。なんて贅沢な米作りなのでしょう。

 まだまだお米は食べられません。問題は続くのです。

初めて自分で作った米の味

 さて、やっとにまでなりました。こんどは籾摺りです。はじめは一升瓶に籾を少量入れて棒でトントンと突いてみましたが、一反分の籾をこの方法で籾摺りすると、一生かかることでしょう。ギブアップしました。大きな籾摺り機をもっている方にお願いしてやっていただきました。その間僅かに30分ほど。あっというまに8俵ほどの玄米ができました。

 5月〜9月まで約5ヶ月かけて作ったお米。費やした時間と労力を考えたら買ったほうがよっぽど安いです。でもそれを言ってしまったらおしまいです。今の米の値段が安すぎるのです。

 ともあれさっそく精米して白ご飯を食べました。米の香りがしました。旨い米はおかずがいりません。これを味わうために5ヶ月がんばったんです。最高の贅沢です。

 お米作りはここまでにして、次は日本の素敵な田舎のお話です。

憧れの土地

 今まで日本中いろいろなところを巡りましたが、やっぱり最初に取り上げたい場所は屋久島です。小説で「一年に366日雨が降る」と書かれたこの島は夕方になるとほんとに決まって雨が降ります。鹿児島からフェリーで4時間ほどのこの島は、車だったら一周一時間ほどです。日本の島としては大きいほうですが、わたしにとっては一周一時間の島の中にこれでもかと奇跡が詰め込まれた夢の島です。

 世界遺産にも登録されてしまったので、今ではとても有名な島ですが、私が訪れた頃はまだあまり観光客もない、平和な島でした。トロッコ道を通って山道を登り、数々の屋久杉をすり抜けて、ウィルソン株を越えるとかの有名な縄文杉が眼前に現れます。今では物見台が設けられ縄文杉を遠くから眺めるようになっていますが、私が訪れた頃は縄文杉の周りには文明の匂いは無く、自分の手で縄文杉を触ることが出来ました。

 樹齢4000年とも7000年とも言われているこの杉はキリストやブッダよりもずっと前から生き続けている。ゴツゴツとした樹皮に触れながらそんなことを考えると、自分の悩みが浄化されたような気がしました。最初から大した悩みはないのですが。。。

 屋久島は雨が多いために森がとても深いのです。「もののけ姫」を見たことがある人ならちょうどあんな森を思ってもらえればばっちりです。その深い森でテントを張って野宿をしていると、いろいろなことを感じるようになります。動物の気配、木々が水を吸い上げる音、雨の気配等等。夜は真の闇です。慣れるまでほんとに恐ろしかった。あまりに静かで、静か過ぎて耳が痛いのです。もう久しく経験していませんが、貴重な体験でした。そのとき私のテントを何かがガサガサとゆらしたのです。

屋久島の恐怖

 ガサガサと音がして、わたしのテントが揺れました。恐ろしくてその場で小さくなって震えていたのですが、それ以上の進展が無いので、思い切って懐中電灯をつけて外を見ました。

 すると鹿が私のテントの横の葉っぱを食べているのです。屋久島の鹿は屋久鹿と呼ばれ、本土の鹿よりひとまわり小さいのが特長です。屋久島の動物はなぜか本土のそれよりみんな小さいのです。天敵がいないためとも言われていますが、真相はわかりません。

 良く見てみると鹿は小鹿を連れていました。懐中電灯の明かりに反射する濡れたつぶらなは今でも私の心に焼きついています。

 野生の動物に偶然遭遇するという機会は滅多にないのですが、動物園で動物を見るのとは別次元の感動がありました。彼らのテリトリーに私がお邪魔しているわけですから、なにをされても文句はいえません。でもそのシカたちは私の存在を感じつつも悠然と食事をしていました。なんだか自然の一部と認められたような気がして誇らしかったことを覚えてます。一方的に鹿と友情を感じたでした。

 山を降りた私は疲れを取るために温泉に行くことにしました。屋久島にはたくさん温泉があるのです。しかも当時は無料から200円程で入れました。その中のひとつにとても変わった、ちょっとムフフな温泉があるのです

ムフフな温泉

 それは海のすぐ傍にあるので満潮時には海に沈んでしまい、干潮時にしか適温にならない温泉なのです。だから入れる時間は一日に2回、僅か1時間ほどです。わたしはその温泉に浸かりながら海を見るのが大好きでした。なんせ無料ですし。殆ど整備されておらず、全くの露天で、岩が天然の湯船になっているその温泉に浸かってこの世に生まれた幸せをかみ締めるのです。

 そうそう何がムフフかといいますと、この温泉当然混浴なんです。そして何故だか知りませんが、水着での入浴が禁止されていました。だいたい昼と夜に干潮になるので、女性はだいたい夜に来ます。若い女性は滅多にこないのですが、私は毎日のようにその温泉に入っていましたので、たまにすごくうれしいこともありました。。。。。

 ちなみに今はその温泉はすっかり整備されて、屋根もつき、たぶん水着着用可になっているはずです。古きよき時代はもう帰ってきません。なぜ日本人は良いものに手を加えずに、そのままの状態で残すことがへたくそなんでしょう。歴史に無頓着すぎます

 屋久島はまた滝の島でもあります。島にしてはめずらしく高い山があるので、その高低差と雨の多さによって川が出来、滝が出来るのです

滝つぼで泳ぐ

 川の水はとても冷たいんです。海よりずっと冷たい。だから真夏はほんとに気持ちがいい。塩分がないのでべたべたしないし。

 そのかわり沈みます。海より浮かんでいるのが大変。そして滝つぼは深いのでうっかりするとそのまま帰らぬ人になる危険大です。

 とはいえ滝のすぐそばで泳ぐのは最高です。細かく砕けた水の粒子があたりを覆っているのでマイナスイオン全快です。なんにもしてないのに心が軽くなってきます。ただぼーっとしてるだけで、心の充電完了です。

 なんてすばらしいところなんでしょう屋久島って。本気で移住を計画してたのですが、世界遺産に登録されて、観光客が増え、ところどころに手が加えられてしまいました。

 今でもとっても素敵なところなんですが、昔を知ってる者としてはもう移住は無しかなという気持ちです。

宮崎県ってどんなところ

 次は宮崎です。県知事が例のお方になったのですっかり有名県ですが、私が行ったころは宮崎が九州のどのへんか知らない人はざらにいました。

 宮崎はとにかく食べ物がおいしい。そして安い。農業、畜産、漁業全てにおいて盛んなので、とにかく安い。美味しい。卵1パック38円ですよ。そして向こうの人は鶏肉を生で食べます。鶏の刺身。私も大好きです。腿焼きもだいすきですけど。

 食べ物の美味しいところは当然人も良いんです。美味しいものばっかり食べてて悪い人になるはずがありません。みんなとっても優しいです。ただのんびりやさんなので時間を守るという概念はあんまり持ち合わせてないみたいです。合言葉は「てげてげ」ほどほどとか適当とかいう意味らしいです。私は「てげてげ」大好きです。

 宮崎の平均所得は確か沖縄に次いで全国ワースト2位らへんにいると思いましたが、宮崎の人たちには生活のゆとりを教えてもらいました。人の幸せって単純に金銭収入だけでは計れないんですよねえ。

渋滞ってなに?

 宮崎の続きです。宮崎県を縦に走る国道は10号線。そして九州を縦に走る高速道路。私はどちらも渋滞しているところを見たことがありません。

 東京の道路に慣れている人たちには信じられないでしょうが、事実です。クルマが停車するのは赤信号のときだけです。あと急に牛がとびだしてきたとき(笑)

 かたや何もしなくても向こうからいろいろな最新情報がやってくる東京。かたや安くて美味しいものに囲まれて、あくせく働かなくてもそれなりに楽しい宮崎。人それぞれでしょうが私は断然宮崎派です。

 私は安心して寝られる場所と、美味しい食べ物、そして心が躍る風景があればしあわせです。必要の無い情報は便利どころか、むしろ毒のような気がします。何かしていないと落ち着かない人より、何にもしていないことを楽しめる人のほうが素敵だなと感じます。

次は京都です

日本人が憧れる京都。実は京都は田舎です。京都の中で都会は京都市だけ。しかも京都駅を中心に北に3キロ程東西に2キロ程が都会と呼べる地域。しかも広大な緑が町のあちこちに点在しています。なぜなら神社仏閣のある場所は必ず緑があるからです。そして鴨川、桂川といった水辺の風景にも恵まれ、盆地ゆえに山もすぐ近くにあります。

 夏異常に湿気が高く、冬は底冷え、生粋の京都人はよそ者を歓迎しない、京都の人たちは本音を素直に言わない人が多い、といったことを考えてもなお有り余る魅力がある場所です。なんせ散歩に行く場所全てが
歴史と深いかかわりを持った場所なのですから。

 ただあまりに大学の数が多いのが難点。たしか100近い大学があるはずです。なんせ18歳くらいのくそがきども(悪い言葉)が原付で狭い道を走りまくってるのです。はっきり言って景観を損ねまくりです。

 京都は大人しか住めない条例を作って欲しいものです。あとクルマ禁止にしちゃうとか。思い切ったことをしないとあの町は守れないと思います。

京都で道を尋ねると?


道がとても分かりやすいのが京都の良いところです。良く碁盤の目のようと言われますが、まったくその通り。そして筋ごとに由緒ある通り名が付いているので覚えやすいのです。

 姉さん、六角、蛸、錦〜♪。と通りを覚える歌まであるのです。方向音痴の方でも京都で迷うのはけっこう大変ですよ。

 京都の人は道を説明するときに「堀川通りを北に上がって」とか「金閣寺を南に下がって二筋目を西」という風に方角で教えてくれはります(笑)道がしっかり東西南北に続いている京都ならではの表現ですが、私はとても素敵だなあと思います。京都で誰かに道を聞かれたら是非この技?をお使いください
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